「暑い…」
ゆらゆらと揺らめくアスファルト。それから立ち上る熱気に、麻衣は恨みがましい声を上げた。
時計の針は夜の七時を指しているが気温は三十度を越えたまま。辺りも街灯が必要ない程明るい。
九月だというのに昼間とほとんど変わらぬ温度にうんざりだ。
暑さ寒さも彼岸まで、という言葉はどこに行ってしまったのか。
額に浮かんだ汗を手の甲で拭うと、調度通り掛かった母校の校庭に視線をやった。
「…まだ部活やってる…訳ないよね?」
金属バットが球を打ち抜いた音が耳に届き、麻衣は怪訝に眉を寄せた。
今年の高校野球の結果はとっくに出ている。
甲子園出場なんて話しは聞いていないし、三年生は予選突破出来なかった時点で引退しているはずだ。
その後は気の抜けた一二年生たちがだらだらと練習に入る。
こんな時間まで練習するような強豪校でもなければ熱血コーチもいなかった。
首を傾げながらも麻衣はグラウンドをのぞき見ようと足を止めた。
「何をやっている」
「あ、いや、ちょっと」
無表情をむっつりと張り付けた美貌の青年。
彼が先を歩いていたのをすっかりと忘れていた。
麻衣が熱さに辟易しているというのに、空調の効いた室内同様の涼しい表情の彼は相変わらずの黒衣。
見ているこちらが暑くなる。
「うちの高校。グラウンドからバットの音がしたから、誰か部活してんのかなーと思って」
「くだらない」
「いいじゃん!ちょっと覗いてくるね」
「麻衣」
「ちょっと。ちょっとだけ」
麻衣の主張に彼は嘆息した。だが、結局は彼女に付き合うつもりらしく無言で校内へと歩き出す。
後を追う麻衣はにまりと笑むと彼の腕に自身のそれを絡ませた。彼は珍しく振り払うことはせずに
辺りを見回し鼻を鳴らす。
「相変わらずセキュリティが低い学校だな」
「体育館の電気着いてるから、バスケ部が居るんじゃないかな。バスケは強いから」
部外者が簡単に出入り出来る事をどうかと言っているのだが。
ナルは小さく息を吐くと記憶と変わりない−−あの頃と違うとすれば、件の旧校舎が更地になってい
るくらいか−−校内を迷いなく歩く。
麻衣は懐かしい景色に表情を緩めていた。
ここを出て一年と少し。
ただのバイトではなく調査員としてSPRに正式に雇ってもらえたのは幸運だった(周りの人間からす
れば、所長様が彼女を手放すはずがないので幸運ではなく当然の結果だ)。
キーン
再び聞こえた金属バットの音。
「あれ?高校野球って、まだ金属バット使ってたっけ?」
「さあ。僕はスポーツには興味ない」
「ですよねぇ」
聞いた自分が馬鹿だった。
体育館には床を踏み付けるバスケットシューズの音とボールが撥ねる音。指示を出すコーチの声が響
いている。
懐かしい感覚に元気だねぇと笑いながら、グラウンドに向かう。
グラウンドにナイター設備は整っていないはずだが辺りはまだ明るい。熱心な生徒が練習しているの
だろうか。
「野球に興味あったのか?」
「え?ううん。興味はないけど…」
野球中継を見るような贔屓の球団も選手も居ない。テレビを付けたままで流れていれば何となく見る
程度だ。セとパの区別もつかない。知っている選手といえばコマーシャルやバラエティでも見掛ける
有名選手くらいだ。
「何か気になって」
引き付けられるようにグラウンドに足が向く。何故か、など分からないのだが。
「あ」
いた。
たった一人、金属バットでノックをする少年。キン、と甲高い音とほぼ同時にネットに沈む白球。
泥塗れのユニフォームが何故だか眩しい。青春だなぁ、と麻衣がこぼすと、美貌の人は呆れたように
息を吐いた。
こちらの視線に気付いたのか、少年がこちらを振り返った。
野球帽の鍔に隠れて表情は窺い知れないが、部外者である二人を警戒しているように見える。
「頑張るねぇ」
警戒心のかけらもなく麻衣が笑むと、少年は小さく頷いたようだ。
「俺のエラーで負けたんです」
「え?」
「準決勝で、エースが凄く調子よくて。今年は絶対優勝だ、って言ってたのに」
一度声を止めて、彼はゆっくりと視線を上げた。
切れ長の細い眼。スポーツマンらしい精悍な顔つきの少年は、唇を噛み締める。
「俺がエラーさえしなきゃ…」
「仕方ないよ!」
あっけらかんとしたその声に、少年は驚いて麻衣を見遣った。
柔らかく笑んだ麻衣に哀れむような空気はない。
「誰だってミスはするんだし。あたしなんてミスしてばっかでいつも小言言われてるし!」
「麻衣」
ナルの咎めるような声に舌を出し、ね、と麻衣は笑った。
「君が頑張ってるって、見ず知らずのあたしが分かるくらいだからさ、チームメイトは当然知ってる
よ」
優しい笑顔だ、と少年は釣られて表情を崩した。
ありがとう
「…うん」
ふわりと笑んだ少年が光に包まれ、麻衣は静かに涙を流した。
「心残りだったのかな」
ぽつりと落とした言葉に、ナルは何も返してこない。
いつの間にか繋いでいた手に、僅かだが力が込められただけ。
「いっぱい、練習したんだろうな」
誰も居ないグラウンドで。
投げてくれる人も居ない、静かなグラウンドで。
一人、延々とノックをし続けた。一人自分を責め続け。
「青春だなぁ」
ふふっと声を出して笑った彼女の手をきゅっと握ってやる。勝手にうん、と頷いた麻衣は、転がって
いた白球を拾い上げるとネットに向かって投げた。
「下手」
「うるさいやい」
そこに届く前に地面を叩き、ころころと転がるボールの向こう。
グローブを構えた少年が、白い歯を見せて笑っていた。
なつあと
時季を外しまくった青春でした。。
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2011.12.01 なつあと